「リベラルとネオリベラルの結託」#kashgarpensarシリーズまとめ①

Gabで #kashgarpensar (かしゅがる考える)として自分の政治的信条等について意見表明したものを、まとめて記事にした形です。

 

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リベラルとネオリベの結託について


私はいわゆるリベラルと呼ばれる立場の人々(男女平等や外国人差別の撤廃を唱える人々。キーワードは"多様性")とネオリベラルと呼ばれる立場の人々(市場原理主義者のこと。キーワードは"自己責任")をこれまで激しく批判してきました。それは個々に出てきたものではなく、ある大きな理論的枠組みと呼べるものに対する懐疑的な見方から発生したものだと言えます。

 

ある大きな理論的枠組み」は、リベラルとネオリベ両者の主張を体現することが可能な政策あるいは社会的風潮などに如実に現れています。


例えば、外国人労働者受け入れ。これはより低いコストで使える労働力を求めるネオリベ(主に資本家)の思惑と、外国人差別を無くすことを希求するリベラルの思惑が合致した形であり、それぞれの理論をそれぞれが補強する形が見られます。

 

ネオリベは、自らの主張を正当化するためにリベラルの理論を援用し、
リベラルは、自らの主張を正当化するためにネオリベの理論を援用する。
外国人労働者受け入れだけではなく、女性の社会進出や副業推進といったものにも、この理論的枠組みが見てとれます。

 

この枠組みの中ではリベラルとネオリベのお互いが自らの利益を享受するため双方の理論を利用しているだけであり、理論の真偽や正当性は見捨てられてしまっているように思います。
このような『理論の悪用』を看過することはできず、私は今に至るまでこの両者を激しく批判してきました。

 

 

ただ、自分の中でも整理がついていない部分もあります。
私がネオリベを嫌う根元的な理由は「出自や環境など自力では変えられない部分で差がつくことを良しとしている(ことに気づいていない)から」というものであり、これは男女差別・外国人差別・障害者差別などを批判するリベラルの考え方と通低するものです。
そういった持論があるにも関わらず、リベラルとは逆の立場をとるということについて、私はまだ理論的整合性をとれずにいます。

 

なんとなくですが、リベラルの方々とは方法論的な部分での意見の食い違いがあるような気がしています。
男女平等を達成したり人種差別などを無くしたりするのに、彼らが実践しようとしているやり方と別のものを呈示できそうだなと考えたことが幾度かあるからでしょうか。

 

 

いずれにせよネオリベの考え方とは到底合う気がしない、というのが確信としてはありますね。
じゃあなんで大学で経済学やってんのか、って話ですが…

 

それはまたの機会に。

 

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